明治39年(1906)

○ 5月 北海道商業銀行、小樽銀行併合により北海道銀行岩内支店と改称。
○ 東京工商銀行岩内支店設置。 ( 御鉾内町旧小樽銀行跡、後岩内銀行となる )
○ 7月 吹上町劇場二葉座、焼失す。
○ 岩内漁港修築財源として雷電入会漁場を解除し31ヵ統の建綱漁場を岩内漁港組合に附与し其の漁場収入より毎年15,000円を岩内町に提供する事となり茲に初めて漁港修築財源を得るに至った。( 漁獲年約3万石、40万円内外、漁業組合収入約3万円 )
○ 8月 北海道貯蓄銀行岩内支店設置。
○ 8月 遊廊米谷より出火。
○ 9月11日 旧岩内場所請負人 ( 運上屋 ) 2代 佐藤 仁左衛門 死去。
     鷹台町八幡277番地に於て死去。法名釈浄勲 行年82歳 此の年6月14日、妻さき死去。法名釈尼妙晃 行年75歳
○ 文政6年初代 仁左衛門岩内場所を請負うて以来80有余年2代に亘って当地方の開発に貢献した功績は極めて大なるものであったが、請負人廃止後落魄し後嗣なく僅かに旧抱巒荘附近の畑中に茅屋を結び齢82、淋しく逝った末路は感無量のものがある。
○ 10月 岩内水力発電の電気初めて点灯す。 ( 大正9年帝国電燈と合併 )
○ 11月 漁港修築地方費補助並に起工認可を申請す。
      道会の容るる処となり明治40年おり6ヶ年間に10万5千円に補助を得る。