○ 7月 岩内馬車鉄道株式会社 ( 資本金6万円 ) 創立
明治30年、岩内鉄道同志会の函樽の鉄道線路変更奏功せず鉄道は遂に岩内を経由しなかったので町有志計って馬車鉄道を敷設するに至った。10月3日、敷設認可となる。
「註」 北海道 ( 函樽 ) 鉄道開通。7月18日小沢駅、10月15日倶知安駅開設
○ 8月 同会議院候補 一柳 平太郎、第2期北海道会議員に当選す。
○ 1月11日 男女両小学校の校舎を交換す。
生徒数男子 1、136人 女子 913人
○ 戸数 2,460戸 人口 16,140人
○ 11月30日 岩内消防組頭 二葉 伊三郎 退職。後任、向山 忠太郎、就任。
○ 11月 美以教会現在の地に移転す。
○ 12月14日 岩内水力電気株式会社創立発起人会開く ( 丁平藤田旅館 )
「発起人」 松大路 信允、木村 正義、秦 若次郎、武内 嘉三郎、才賀藤吉代人・兼本 久、大谷 喜久江、川村 長四郎。
○ 2月11日 日露宣戦布告。
2月5日 海軍充員召集下命以来終戦迄岩内古宇郡に於て応召者442名、岩内町に於ける戦時国債応募額373,750円、応募人数1.004人。2月12日以来艦室蘭或は泊村沖等各所に出没の風評あり人心動謡、5月に至っては日本海の航海壮絶し従って岩内在米僅々1,700石に過ぎざるに至り、不安益々つのり町に於て緊急措置として小樽より米の購入手配をなす等物情騒然たるものがあった。
○ 11月 岩内支庁管内水産講習会開催、数年継続す漁撈科、製造科あり。
○ 信夫源右衛門 「 岩内商業新報 」 を創刊す。後ち岩内新聞と改題。
当時丸山 浪弥 「 岩内新報 」、武内 嘉三郎 「 雷電新聞 」 あり。
○ 岩内婦人会創立。 「備考」 2月 日露戦争