明治16年(1883)

○ 茅沼炭山廃止の令出ず。
     岩内煤田は開拓使の廃止と共に工部省直轄に移され折角の予定計画も遂に頓挫するに至った。
○ 民間同志採炭組合を組織して茅沼炭山の借用を請願す。
     茅沼村 武井 忠兵衛 廃坑の事を深く憂い同志者20名を募り16年組合総代として同人及 長浜 彦太郎 の両名出札し茅沼鉱並に附属物拝借残炭払下げ及礦業継続を請願す。 ( 北海立志篇 )
○ 旧加賀藩主 前田 利嗣 石川県士族授産の為め起業社を起し資本金十万円を投じ多数の士族を前田村に移住せしむ。
     起業社は農業と漁業をもくろんだもので、或年の鰊漁期に起業社の鯨取船3隻が雷電で鯨を取り之を港内に曳いて来るについて鰊漁業者と紛争を起し大騒ぎしたことがある。 ( 武内嘉三郎談 )
      「註」 明治17、8年頃は寿都岩内方面が鯨の中心地で盛んにゆう泳して来たものだという。
          礼文のフンベネブ、島牧郡のフンベ ( 現在は日本 ) などはいずれもその証左で「フンベ」は鯨というアイヌ語である。
  ○ 安達 定吉、松田 一芥の後を引受け老古美に安達牧場を開く。 ( 明治37年安達 清吉之を引受け今日に至る )