慶応3年(1867)

○ 幕府、箱館奉行所 茅沼炭山を再掘に力を注ぐ。
    幕府は万延元年、元治元年に亘り頻りに茅沼炭山の検分試掘をなしたが遂に慶応元年廃止のところ、前年末より再び採掘に決し当年度に於ては、海岸より炭山に至る道路を開鑿し、炭倉を建て石炭を採掘し其の規模前に比すれば大に観るべきものがあった。
○ 運上屋 石炭山御晋譜調材用達。
     当年正月磯谷後志川上にて始め、岩内尻深 ( 堀株 ) 茅沼山等に於て伐採いたし、海上運搬の途中流材等は差除き完く14,000石を納む。該材を以て石炭輸車、鉄道、橋梁、官宅、蔵々及び教師の異人館等迄、11月に至って営構大略全備す。
     石炭掛 石井 半一郎   岩内詰 立 文太夫
     該年は右材の手配及び諸色の御用達ともに兼務当1ヵ年は自業を閣き石炭山へ詰切り日勤す。 割羽織一刀御免。   ( 佐藤仁左衛門履歴 )
○ 岩内、古宇、寿都、厚田の各請負人、連名にて樺太に新漁場開設の為(ため)、請願す。「 備考 」 10月 大政奉還