元治元年(1864)

○ 函館奉行所 茅沼炭山を採掘、翌年、之(こ)れを廃止す。
    奉公所は練習蒸気船の需要のため石炭の必要を痛感し雇 大島 惣左衛門 をして各地の石炭を分析せしめた処茅沼の石炭は頗る良好であるとの結論を得たので定役元締坑内幾之進及び大島 惣左衛門 を派して試掘せしめた。結果、惣左衛門 は坑内に留木を使用すれば採掘困難でないと見たので採掘する事に決定し白糖炭山の礦夫を移して使役した。然るに同年3月より翌慶応元年11月迄に費す所3,650両1分余に上り石炭の価格が高くなりし為に( 長崎に較べて約5割高かった ) 遂に廃止せざるを得なかった。
○ 岩内に水田試作さる。
○ 元治元年、慶応元年、両年中、領主、幕府老中職務及び長州征討発向にのぞみ 佐藤 仁左衛門 金 850両を献ず。
     該賞として、仁左衛門 統永々苗字御免、麻上下一具、之(これ)を賜う。 ( 佐藤家記録 )