○ 明治23年の岩内町大火
9月12日午後10時、御鉾内町俗称小杉屋敷跡なる会津漆器問屋兼酒屋 浅井 清一 の裏物置の藁 ( 一説には井戸附近に冬囲用萱の積み重ねたもの ) に放火狂某なる者の放火より出火し当時南の風強かりし為火は忽ち同家を全焼し風力次第に加わり火勢猛烈を極めたり。時恰も三井岩雄登砿山が硫黄3千石を船積すべく現今の公会堂附近28倉及び同所前なる警察署跡 ( 前年焼失 ) に野積をなしたるものの並に今の森下鉄工所の東側附近にありし三井倉庫に収蔵の硫黄に延焼し溶解したるものは河水の流るる如く海岸に流出し悪臭全市街に満ち、歩行困難を極め消防の活動意の如くならず遂に唯一の消火機械なる独逸腕用ポンプは稲穂崎 浜 喜三郎宅海岸迄後退を余儀なくされたりと。加うるに火勢猛烈の為各所に飛火し全町火の海と化し何時鎮火すべしとも思われず、
町民は極度の恐怖に襲われ只身命の安きをのみ願う有様なりしが翌朝午前3時頃漸く焼くべきものを焼き尽くして鎮火せり。
其後1週間を過ぐるも尚硫黄の臭気甚だしく咽喉を傷め甚だしきは声さえも出でざりしと。
以て如何に硫黄の為悩まされしかを知るべし。今その焼失経路を調ぶるに発火後南山背風益々強く火の手は火元より四方に拡がり御鉾内町東方は現黒田商店附近空地に止まり、西へ延焼したるものは稲穂崎 松田 金蔵方の大建物を焼き表通りは旧梅沢本店前に至り、当時全盛を極めた青橋花柳界を焼き、橘町、御鉾内町、三島町、吹上町、堀江町等全町に至る。
全焼6百10余戸。損害120有余万円に達したり。 当時消防組概要 番屋位置 第1部 御崎現位置
第2部 万代旧松風屋菓子店 機械器具 腕用ポンプ2台 警察署 現位置 署長兼部長 市柳 平太郎
消防組幹部 組頭 ( 2代 ) 二葉 伊三郎 1部長 向山 忠太郎 2部長 青塚 勢代吉 火災原因
放火 犯人不明 ( 参考、明治17年戸数7百戸という )
○ 9月16日 簗瀬 真精、岩内郵便局長に任命さる。 ( 明治40年9月辞す、在職17年 )
○ 10月16日 岩内郵便局に於て電信為替事務取扱開始す。
○ 11月1日 岩内治安裁判所を岩内区裁判所と改む。所長 判事 西沢 憲宗。
検事局併置、岩内区裁判所検事局と称す。
○ 嘗つて設立の岩内教育会初めて幻燈会を御鉾内小学校にて開く。
○ この年大火により遊廓を簿田に移転す。 ( 昭和31年廃止 )
○ 町内商人の商法研究会成る。 「備考」 国会開設